超巨大なアレに遭遇した話
おことわり
このブログはウンコに関するブログである。
下ネタを生理的に受付けない方はもちろんのこと、食事中の方(カレーならばなおさら)や就寝前の方(夢に見ないように)などは、これ以後展開される内容を予見していただき、熟考された末、読み進めるか否かを慎重にご判断いただくことをお勧めする。
三日坊主らしくサボっていた僕のブログ欲を刺激したのは吉田粘土氏のブログである。
氏は僕の拙いブログに読者登録をしてくれている一人で、僕ももちろん氏のブログを読者登録して楽しく読ませてもらっている。年代が近いこともあり、僕が勝手にシンパシーを感じているブロガーだ。
そんな氏がウンコのブログを書いているのである。僕はここ数日、ちょうどウンコに関するブログを書こうかどうしようかと迷っているところだった。
元来下ネタは大好きで、ウンコやオシッコは無条件で面白いと思ってしまういつまでも少年の心を持ち続ける逆コナンとも言うべき僕なのだが、自身のブログに何度もウンコを登場させるのはいかがなものか。久し振りに更新したと思ったらまたウンコなのか。沈黙を破るウンコなのか。こいつはウンコ以外無いのか。ウンコブロガーなのか。ウンコ野郎なのか。
しかしウンコ野郎の僕の背中を押してくれたのはすでに紹介してある、吉田粘土氏のブログであった。
氏のウンコが僕の背中を押したのだ。
氏がウンコで僕の背中を押したのだ。
氏がウンコを僕の背中に押し付けたのだ。
失敬。
前置きはさておき、
話は数年前、時期はハッキリとは覚えいないが前の職場で働いていた時のこと………
以前のブログにあるように、僕は路面店型の文具店で働いていたのだが、この店にはトイレが無かった。2階建ての建物のうち、実際に店舗として利用しているのは1階部分だけで、2階は別の会社の倉庫兼事務所として使われていた。元々2階にしかトイレが無い上に事情により封鎖されていたので、文具店の客及びスタッフは、細い道を挟んで隣に建つレンタルビデオ屋に外付けされているトイレを拝借する形で利用していたのだった。
外付けされているトイレなので、来店客のみならず誰でも利用できる。言わば公衆トイレのようなものだ。使う側のマナーはお世辞にも良いとは言えない。
男子側は小便器と和式便器が一つずつ、女子側は和式便器が一つのみ。ひと昔前のトイレのスタイルだ。薄暗くてもちろんエアコンは無い。何十年も前に造られたトイレなので、壁には穴が開き、掃除をしてもすぐ天井に蜘蛛の巣が張る。雨漏りもする。
想像していただく通り、ある程度仕上がっているトイレなので、使う側も雑であるし、悪意のある汚され方もする。
頻繁に遭遇する便器を捉えきれないウンコには、尻の側面や腰の辺りに肛門が付いているのかと疑いたくなるほどだ。トイレットペーパーが便器に丸々突っ込まれていたり、汚物入れの上に連日ビニール袋パンパンのパンが捨ててあったり、ズボンが脱ぎ捨てられていたり。梅雨の時期になれば羽アリが大量発生するし、時には意識朦朧の女性が中からドアをふさぐ形でトイレの中に倒れていて、救急車を呼んだこともあった。
まさに混沌(カオス)。トイレは定期的にスラム街と化すのであった。
そんなトイレで、一大事件が起きる。
今後、人生のうちであのようなものに遭遇することは二度とないだろう。上に書いた、女性が倒れているのもなかなかの事件ではあるが、そんな物は全く比にならない。
ある昼休みのことである。
僕は昼ごはんを食べるとすぐに便意を催す。ひとつ弾を装填すると、元ある弾は自然と発射される。俗に言う空気鉄砲方式である。その日も食べた後、いつもの流れでトイレに行った。
ドアを開けて入った瞬間、横目にチラリと何かが見える。また誰かがゴミでも置いているのか……。うんざりしながら和式便器に目をやると、衝撃の光景を目の当たりにする。
アッッッッッーーーーーー!!!
めっちゃデカいウンコ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
そう、めっちゃデカいのである。僕の人生における常識を根底から覆す、世の中の既成概念を打ち破る、激しく脳を揺さぶる、自発的に鼓膜弾け飛ぶ、内臓という内臓を引きずり出される、エロ動画を貯めに貯めたHDDがぶっ壊れる、最終的にウンコ漏れる。
ぐらい衝撃的なとんでもないサイズのウンコが便器の中央に横たわっているのである。
嘘ではないのである。嘘だとブログなんかに書かないのである。正真正銘実話なのである。信じて欲しいある。
デカいと言っても、すごくデカい程度ではない。超絶ウルトラメガトン級のサイズだ。全長25cm以上、直径は8cm以上はあったと思う。ヤンジャンを丸めて置いたぐらいの大きさだ。
想像できますか?ヤンジャン丸めたぐらいのデカいウンコを。
そして見たことありますか?ヤンジャン丸めたぐらいのデカいウンコを。
目の前にあるインパクト抜群の映像に怖気づき、その存在をにわかに信じがたい僕は、その場にいても立ってもいられなくなりとっさに外に出て周辺を見渡した。
いったい誰が………‼‼
そう、どこかに主が居るはずだ。ウンコはシュワちゃんのように空間に突然現れるものではない。生物の排泄物ということだけは間違いようのない事実なのだ。
外に出て少しだけ冷静になった僕は、周りに目を配りながら自分のウンコンピューターを働かせて、主の体のスケール感を想像してみた。
例えば僕が絶好調の時に15cmくらいのウンコをしたとする(実際に測った事はないが、たぶんこれぐらいだろう)。そしてヤツのブツは約25cmだ。単純に25÷15で計算してみても約1.6倍。ウンコのサイズと体のサイズはある程度比例すると考えて、僕の身長176cmを1.6倍した場合、主の身長は実に280cmを超えるのだ。
そうでないと、ヤンジャンサイズの説明がつかない。
果たしてそこまで大きな人間がいるのだろうか?もしくは人ではないとなると、ビッグフットの可能性もあるのではなかろうか。
信じられない光景が、僕にUMAの存在を疑わせる。
しばらく周りを見渡してみたが、もちろん外には大きな人間もビッグフットも居るはずがなく。仮にそれっぽい人が見つかった所で、「これはあなたのものですか?!あなたの便ですか?!」などと問い詰めることができる訳もなく。
僕は主を探すことを諦めてトイレに戻った。
そう、流さなくては。
トイレを借りて利用している立場上、清掃は自店のスタッフが行っているのだ。どんな困難にも立ち向かわなければならない。
改めて見てみるとやはりすごい。本当にこんなものが人体から出てくるのか。そもそも肛門が耐えきれるのか。サイズから察するに、出産レベルの苦痛が伴うことは想像に難くない。いったいどんだけ開発されているのだ。それこそ血の滲むほど努力した結果なのかもしれない。アナリストか?(誤用)スーパーアナリストなのか?(誤用)
仮にアナリストだとして、直腸はどうなのだ。人間の体にあんなにも貯蔵することが可能なのか?
しかもひと息で体外に排しているように見える。いきむ力も半端ない。「うぉぉおおおおおおー!!」とか「どりゃあああああああー!!」とか、絶叫するぐらいでなければ不可能だろう。
また不思議なのが、ウンコが便器にドシンとあるだけで、トイレットペーパーでケツを処理した形跡が微塵もない。
まぁ僕もたまにはペーパーで拭く必要がないくらいスッキリと出る時はあるけれども、それでも念のため軽く拭うのが普通なのではないか。だってパンツに付いたら嫌だもの。
ここで思うのが、
ガッシリした体格の人物(もしくはビッグフット)が、どこかから颯爽と現れてギネス級のウンコをひと息でこの世に産み落とし、後ろを振り返る(ケツを拭く)こともなく(流さずに)去っていく姿だ。
なんとも漢らしい(迷惑極まりない)限りである。
そんなウンコ漢に僕もなりたいとはこれっぽっちも思わない。
それよりも目の前にある化け物をとにかく処理しなくてはいけない。
定番の手法として水で流してみた。すでに僕は半笑いである。
ジャーーーーーーーーーーー
微動だにせず!!!!
予想はある程度できていた。心構えももちろんあった。しかしその微動だにせずっぷりにはさすがに驚きを隠せなかった。もはや水が避けているようにも見える。まるで中洲のようだ。便器の中でデルタ地帯ができあがっているのだ。
ピクリとも動かない。基礎が相当しっかり組んであるのだろう。鉄筋コーウンクリートとも呼ぶべきか。今この瞬間において、世界中でこれ以外にドッシリという言葉がぴったり当てはまるものはないだろう。
仮に奇跡的にこのウンコが流れたとして誰がどう考えても詰まるのである。
『100%詰まる確率』が100%なのである。
どうしたものか………。
しかし悩んでいる間に、トイレを借りている店舗の社員さんが火ばさみでウンコを砕いて流してくれていたのだ。
そう、僕が色んなリアクションをとっている間に、実にアッサリ解決したのだった。
何度も言うが、これは実話だ。サイズ感も間違いない。しかし仕事も変わり、トイレ掃除をする機会もなくなった今、あのような恐ろしい物に出会う事はこの先の人生でほぼないだろう。
一つ言えることは、とんでもなくでかいウンコに遭遇すると、まず犯人を探そうとする。
ということだ。これは真理である。これを言いたかった。
そして、しばらくぶりの更新にも関わらず、ウンキッシュな内容になってしまった事もご容赦いただきたい。併せて、フェチではない事だけご理解いただければ幸いだ。
また、このブログを執筆している途中でも何度となく三日坊主の闇に襲われたし投稿も躊躇われたが、3000字を超える下ネタをただただスマホに記録しているだけの変態で終わるわけにもいかないので、投稿に踏み切った次第である。
最後に、粘土氏のブログを勝手に引用させていただいてます。ありがとうございます。いつも読ませていただいてます。
影響されて丸パクリ
なんという響きだ。こう言い換えてみよう。
インスパイアされてオマージュしてるんだ。
だって、そうだろう?ゼロから作られたオリジナルなんてこの世にはほとんど存在しないんだ。
ピンと閃いたアイディアでさえ、どこかで見たり聞いたりしたものを無意識の内に参考にしているってのはよく言う話さ。
オリジナルなモノを作り出したいかい?オンリーワンな存在になりたいかい?そしたら近道はすぐに見つかるよ。
マネすればいいんだ。
自分が好きなもの、好きな音楽、好きな文章、好きな人、好きな考え方、好きな生き方。自分の「好き」をいっぱいいっぱい見つけて、そこからちょっとずつマネするんだ。マネをして自分に次々取りこんでいく。より好きなものが見つかれば、それに乗り換えればいい。誰も文句は言わない。その作業をひたすら続けるんだ。
そうすれば自然にオリジナルが見つかるよ。気が付いたらオンリーワンになってるよ。組み合わせは無限大だ。何一つ、誰一人同じなんてない。
個性的じゃないと悩むキミも、今のままで充分個性的だよ。クヨクヨしてないで、好きなモノを探しに行こうよ。
と前置きはここまでにして。
素敵な言葉ですね。
『インスパイア』『オマージュ』
「あっし影響されちまったもんでねぇ、丸パクりしちゃいましたよ!」
うぅ、下品……
「私はこの作品にインスパイアされましてね、オマージュの要素も足してみました」
まぁ、上品……
これからはこう言うべきかもしれない。魔法のコトバ『インスパイア』『オマージュ』
そして今回は『オマージュポゥ』について見ていこうと思う。
新しい言葉で惑わせてしまったかもしれない。
まず始めに、『ポゥ』とはいったい何なのか?
音楽好きな方はもちろん、そうでない方も多くの人が「ポゥ」と閃いたのではなかろうか。
そう、MJことマイケル・ジャクソンの例のあれ、まさしく「ポゥ!」である。
それでも「ポゥ!」とはなんぞ?という方にはこの曲を聴いていただこう。歌詞の途中に数多のポゥが組込まれているのがお分かりいただけるだろうか。
Michael Jackson - Billie Jean (Official Video)
マイポゥ・ジャクソンにまでなると、実は本来の歌詞は「ポゥ」の部分であって、「ビリージーン」とか言ってるのが合いの手なんじゃないかと思ってしまうほどだ。素晴らしいポゥ。究極にして至高。ポゥの先生、師匠、マスター、代表、お父さん、お母さん、申し子、神様、仏様、宇宙。いや、MJはポゥそのものだ。もう何がなんだかよく分からないが、とにかくポゥなのだ。
しかし今回の主役はマイポゥではなく、『R.kelly』この人である。
彼はアメリカ出身のシンガーソングライターで、90年代〜2000年代のR&B、HIPHOP界を牽引してきた巨匠とも言うべきミュージシャンである。
詳しくはこちら↓
彼はMJが大好きだ。とても尊敬しているし、愛しているのが分かる。実際、『You Are Not Alone』という楽曲を提供する形で、ミュージシャンとしてもMJと深い関わりを持つ。
そんな彼が敬愛するMJをマネしないはずもなく……もとい、オマージュしないはずもなく。彼の曲にもオマージュされたポゥが出てくるのだ。
そうすなわち、『オマージュポゥ』
好き過ぎるあまり、マネしてる内に口癖になっちゃったっぽいのだ。たぶん彼は若い頃からマイケルのマネをしてポゥ!ポゥ!言っていたのだろう。ここで紹介する曲も、我慢できずにポゥしちゃうのだ。止まらないポゥ、溢れ出るポゥ、絶叫してしまうポゥ。
今までにない視点。『オマージュポゥ』にスポットを当てて曲を聴いてみよう。
紹介するのはこの曲。
『I Believe I Can Fly』
この曲はNBAのスーパースター、バスケの神様でもあるマイケル・ジョーダンが主演の映画『SPACE JAM』のサウンド・トラックにも収録され、グラミー賞にも輝いた名曲である。
R. Kelly - I Believe I Can Fly (LP Version)
タイトルからもわかる通りポジティブな曲だ。バカポジティブでベタでいい曲だ。この曲を聴きながら読み進めてほしい。
2分3秒 挨拶代わりのポウ
様子を伺うかのような、軽いジャブのごとく放たれるポゥ。むしろホゥ。とても自然で呼吸の一部なんじゃないかと感じる程だ。あれ?なんか言った?ぐらいだろう。
2分42秒 ついついポゥ
徐々に気分が乗ってきた頃のポゥ。これも自然に出た感じがする。聴いていると、あれ?クセなのかな?と少し気になりだす。
3分32秒 段々我慢できなくなってきたポゥ
歌も気持ち良いし、油断したらすぐに出てしまうポゥ。逆に、意識して抑えてないとないと勝手に言っちゃうよぅ。
3分46秒 出ちゃうよポゥ
あ〜もうダメダメ。出るんだから仕方がない。次のポゥが待ち遠しい。常にスキを狙っているポゥ。
4分2秒 もういいだろのポゥ
盛り上がってるしもういいよね。これ以上我慢しなくてもいいっしょのポゥ。
5分5秒 もう無理の特大ポゥ
今までずっと我慢して小出しにしてきたけど、もう無理だ。耐えきれない。なんか曲もクライマックスだし。あ〜無理、あ〜〜〜、あ〜〜〜〜!
ポゥ!!!!
と、最後はアラレちゃんの『んちゃ砲』のような最大級のポゥを放ってしまうのであった。僕にはハッキリと見えるよ。ポゥの文字が形になって。
これが、好き過ぎるあまり止められなくなった『オマージュポゥ』である。
しかしオマージュをふんだんに取り入れつつも、彼の個性が消えることはなく、唯一無二の存在感を示してくれる。オマージュすることに躊躇ってはいけない。
さぁあなたも露骨にパクるのだ!!
ただ、彼にはド変態エロおやじの噂もあるので、そこからは各々興味を持てば調べてみて欲しい。
ブログは更新することが大事なんだね
梅雨明けのような蒸し暑さが続き、時期的にはちと早い、季節外れとも言える台風が近付く今日この頃。
当初の予想とは裏腹に、良い意味でも悪い意味でも日本国民を熱狂させ、興奮の渦に放り込んでくれたW杯。日本は惜しくもベスト16で散っていった。楽しい時間を(ダイジェストで)ありがとう、侍ジャパン。
という不自然になめらかな入りでヌルっと登場した三日坊主こと三日坊主です。
思いのほか更新に日にちが開いてしまった。いや〜、三日坊主という性格はしつこいですな。危うくフェードアウトしそうになった。特に飽きていた訳でもないし、書こうという気持ちもあったのだが、何を書いていいのやら………
地震時のぶらり緊急停車の旅ブログが若干バズったので慢心してしまったのかもしれない。
と言ってもアクセス数は2桁だけど。
あぁ、志の低さよ
ネタが無い無いと考えるのは、ええカッコしようとしている証拠なのだろうか。いやいや、内容どうこうよりも継続することが一番の目的ではなかったのか。人気ブロガーのようにあらぬ期待に応えようとしている僕がいる。
三日坊主の克服をテーマにライフハック的な記事を一瞬書こうとしたり、ネタ感満載盛り盛りブログにしてみたり。下ネタをエイヤと挿入してみたり。
走り出したは良いが、目的地は決まっていない。見切り発車もいいとこである。走る必要すら無かったのではと思う反面、読んでもらって反応を貰うと、このまますぐ止まるには勿体ないなという気持ちもあり。
しかし、20記事にも満たないのにこのすっからかん感。早くもこのような悩みを抱えるとは…………もし一年続けたなら、ブログにすっかり生気を吸い取られヨボヨボのガリガリのシワシワになりそうだ。
三年続けたらヨボヨボのガリガリのシワシワを通り越して、あらゆる物を吸い込み、最終的にはブラックホールと化すのではないか。ブラックホールブログ。書いた文章が次々と吸い込まれてゆくのだ。実体として存在しているが、確認する手段がない。近しいものは全て吸い込まれてゆく。まずは読者の方々、次にスターをくれた人。更にはリンクに使用したページ。
一体何を言い出すのか、とお思いであろう。
僕もそう思う。
一体何を言っているのか。
ネタが無いというのは怖いことだ。
おそろしやおそろしや。
そうだ。
瞑想ブログというのはどうだろうか。
毎回決まってこの一文から始まる。
目を閉じて想像してください。あなたはどこまでも続く宇宙の中心に居る。
こんな感じでインナーワールドに没入させブログと一体化してもらう。もはやブログを読む必要はない。というよりも、目をつぶっているのでそもそも読めない。だから書く必要もない。
僕は一体何を言っているのだ。
だいぶ歪にまとまってきたので、ここら辺で。
謎のメモを残して………
2分3秒 挨拶代わりのポウ
2分42秒 ついついポウ
3分32秒 段々我慢できなくなってきたポー
3分46秒 出ちゃうよポウ
4分2秒 もういいだろのポウ
5分5秒 無理だよ特大ポウ
チョコミントにオシャレ感はいらない
ブログテーマに関して、早くも枯れ井戸のようにアイデアがすっかり枯渇した僕は、ガニ股でふんぞり返りパンツのゴムとおへそが露わになるほどだらしない体勢で、けだるい顔で白目を剥きハナクソをほじりながらため息をつくという生きているか死んでいるか分からない表情で開き直り、はてなブログ様の仏の如き慈愛にみち溢れた救済措置とも言えるテーマの提供に、いとも簡単にプライドを捨て去り何一つ抵抗せずに奴隷のように全てを受け入れるとかなんとかそんな感じでブログを書こうと。そういう事なのである。(約250文字ゲット!)
と、いうわけで
今年の夏はチョコミントが流行っているらしい。コンビニをよく利用するが、確かにどの店舗でもお菓子コーナーでチョコミントを推している。しかも種類が豊富で、新商品もさることながら、定番のお菓子に関してもチョコミントバージョンが多数発売されているのだ。
しかしこの現象を目の当たりにして僕がまず考えたことは、
そもそも好き嫌いが別れるあの味に流行りもクソもあるのか
ということである。
チョコミントはこの記事によると昭和49年、実に44年前(2018年現在)に日本に上陸している。
そこそこの歴史があるにも関わらず、なぜ今なのか。これだけ長い間市場に存在しながらも、日の目をみずにひっそりと生きながらえてきたチョコミントが、今さら爆発的に売れるとは思えない。
大体において、段々とチョコミントを好きになってきたなどと言う人をあまり見たことがない。
好きな人はずっと好き、嫌いな人はずっと嫌いなのだ。
となると、最近のチョコミントブームはいったい何なのか?
ここで僕の推論を発表しようと思う。
これだ
ワンランク上のオシャレスイーツに格上げ!メーカーの陰謀論
このボンクラは何を言い出すのかとお思いであろうが、寝転んで横目でも構わないので、気が向いたら読み進めて欲しい。(お願いします☆)
例にあげるのが『パクチー』だ。
パクチーはただの食材のくせに、トークテーマにしばしば挙げられているのをメディアで見かける。
「わたしパクチー大好き〜」
と喋っているとき、その文言が醸し出すオシャレドヤ感を感じずにはいられない。
好き嫌いが顕著に表れるクセの強い食べ物を食べこなしているワタシを見て。
異国の食文化を抵抗なく受け入れる価値観を持った新人類とも言えるワタシを見て。
と暗にアピールしている風に思えてならない。
また、
「わたしパクチー苦手〜」
と否定している時に醸し出すオシャレドヤ感も見逃してはいけない。
NOとハッキリ言える欧米的な主張ができるワタシを見て。
嫌いと言ってしまわずに苦手という柔らかい表現を使いこなすワタシを見て。
と言っているように思えてならない。
自覚したオシャレが行き着く先は、単なる優越感でしかない。
パクチーは何なのか。なぜパクチーだけなのか。パクチーの是非を論ずることに、いったい全体何の価値があるのか。別にパクチーが悪いと言うのではない。パクチーはただの食いモンであり、好きか嫌いか、それ以上でもそれ以下でもないのだ。ペラついた香草に必要以上のステータスを求めてはいけない。
パクチーパクチー言ってオシャレぶっている奴には、口いっぱいにセロリを放りこんでマヨネーズ無しで食わせてやることに決めた。
いや、セロリを放りこんではいけない。
しかしながらチョコミントに関しても、メーカーがパクチーのようなオシャレフードに格上げしようとしているのではないだろうか。
「わたしチョコミント大好き〜」
はいオシャレ。
「わたしチョコミント苦手〜」
はいオシャレ。
やめてくれたまへ。
ここで言っておかなければいけないのが、かくいう僕も何を隠そう『チョコミン党』の党員なのである。
僕の中でチョコミントは永久に不滅であるが、今まで通り、人知れずひっそりと楽しみたいのだ。目立った派手さも、オシャレ感もいらない。
少数派で構わない。歯みがき粉と揶揄されても構わない。チョコの甘さとミントの爽やかさの意外なマッチング。チョコチップのなんとも言えない食感と、いかにも体に悪そうな毒々しい色。
相反するものが引き起こす化学変化が魅力的なのだ。
太陽と月が織りなす皆既日食。
ダウンジャケットとホットパンツのコーディネート。
かわばたに対するどうちん。
半端な夢の一欠片が。
不意に誰かを傷つけていく。
……ああ、食べたくなってきた。
サーティワンとスーパーカップさえあれば………あとは何もいらない………
と言いつつも、ホントは気になっているのですよ僕は。チョコミントの新商品を。
地震発生 缶詰め電車内にて 〜その後〜
こら!君たち並びなさい!!
普通!快速!新快速!丹波路快速!サンダーバード!!
全員おしりペンペンだ!!
違う、連結部分じゃない!!
ライトを消しなさい!!
それ!
ペチッ!!!
こうか!
ペチッ!!!
これでもか!
ペチッ!!!ペチッ!!!
泣くんじゃない!お父さんの心の方が痛いんだ!!(号泣)
ということで、僕自身とみなさんのお気持ちを代弁して電車のおしりペンペンしておきました。
結論から言うと、昨日、JRの思わせぶりな態度に翻弄され、なんとかかんとか家路に着けたのは夜の10時過ぎであった。
地震発生後、内に秘めたるジャーナリズムを余すことなく発揮してブログを書きあげた後で少し待っていると、午後三時くらいにまず阪神電車と阪急電車が復旧した。
普段の大きな遅延であればJR→阪神、JR→阪急のように振替輸送が実施されるのだが、災害時はどの鉄道もダイヤが大幅に乱れるので振替はできないとのこと。簡単に言うと実費で乗り換えろということだ。
通常であればJRに後ろ足で砂をかけた後、オナラをぶっ放すくらいの勢いで阪神に乗り換えてやるところだ。しかし振替が出来ないのであればこのまま待つという選択肢も考えられる。
「うぅ…お金……」
待つことにした。
しかし先程も言ったように、JR以外の他の路線が動き始めたのだ。希望の光が一筋差した気がした。
JRももうすぐ動くんじゃね?
そうこうしている内にアナウンスが入る。
「17時以降の復旧となります」
来た。
それまではずっと「相当な時間がかかると思われます」というアナウンスしかなかったのだ。具体的な数字が入る事でグッと信頼度が増す。
17時に復旧したとして、地震発生から実に9時間も経つ形になる。僕はよく頑張ったよ。
もう車内で待つこともないと思い、外で下りの電車を待つことにした。
しばらく待っていたが風がどんどん強くなる。強風に吹かれ続けるのも意外と体力を消耗する。僕は一旦改札の方に移動して待つことにした。ちなみにカツラではない。
運良くイスが空いていたので本を読みながら座って待つ。この小説もだいぶ読み進んだ。ヨーゼフ・Kも言われのない裁判でだいぶ困っているよ。
約束の17時が近付いてきた。駅員がマイクを持って出てくる。
ついに復旧のアナウンスか……長かった……屯田オジサンもさすがに疲れたよ……。
「当初復旧の時刻を17時とお伝えしておりましたが、予想よりも点検や調整に時間がかかっております為、早くとも19時以降の復旧になる見込みとの通達がありました」
ズコーッ
ズコーズコーヘコーズコーズコー…
椅子から落ちてそのまま滑って改札を出ていきロータリーを2周半しそうなくらいズッコケたのであった。
さすがJR…プラス2時間とは。ケタ違いである。
しかしここまで待っていると2時間くらいはイケる気がしてくる不思議。終電には間に合いそう…などとぼんやり考え出す始末。半分ヤケ。
「ようし、いっちょ待ってみっか」と明らかに誤った判断を下し、19時までまたボーッとして過ごす。
すると、どうも試運転列車が走り出したとのこと。実際に電車を走らせてみて、異常が無ければ通常の運行を再開すると説明があった。
線路の方に目をやると、確かに上り方面で試運転列車が走り出している。しかし僕は下りに乗って帰らないといけない。駅員が下りの話題にまったく触れないのでソワソワしてくる。この時すでに19時半。
と、ここで三度駅員がマイクを持ちアナウンスを始めた。
「早くとも22時以降」
開いた口が塞がらない。次の瞬間、ガッデム!やファック!、シット!などの世界中の全てのチクショー的な言葉が僕の体に流れ込んで来た。
超サイヤ人100の爆誕である。
オラは理性が残っている内に、静かに阪神電車の駅に向かい、直通特急で帰路に着いた。
このようないきさつで、帰宅の時間は10時を回ったのであった。
一つ勉強になった。帰れる時に帰りなさい。多少のお金は仕方がない。その時確実な方法を素早く選択し、迅速に遂行すべし。
手前から刻むのはよしてね、JRさん。